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仙台地方裁判所 昭和63年(行ウ)4号 判決 1994年10月24日

原告

井上富美子

右訴訟代理人弁護士

青木正芳

村松敦子

被告

仙台労働基準監督署長

菅原寛

右指定代理人

小林元二

外五名

主文

一  被告が原告に対し昭和五九年三月三一日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

主文と同旨

第二  事案の概要

本件は、原告が被告に対し、原告の亡夫井上興二(以下「興二」という。)の死亡に関し、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求(以下「本件給付請求」という。)したところ、被告が興二の死亡は業務に起因するものではないとして、これを支給しない旨の決定(以下「本件不支給処分」という。)をしたため、原告が右処分の取消を求めた事案である。

一  争いのない事実等(認定に供した証拠については、括弧内にこれを摘示した。)

1  興二の従事していた業務と死亡

(一) 仙台ショールームにおける業務(以下「日常業務」という。)

(1) 興二(昭和一六年九月一日生)は、昭和四〇年四月一日に訴外松下電工株式会社(以下「訴外会社」という。)に入社した。そして、昭和五四年七月に訴外会社の東北営業部の仙台ショールーム(以下「仙台ショールーム」という。)に転属となり、当初は主任として、昭和五六年六月から責任者として勤務し、企画、運営、部下(男子二名、女子一名)の管理及び指導にあたるとともに、相談係として、仙台ショールームを訪れる客に対する専門知識の必要な商品の説明、住宅設備機器の紹介、見積等の相談の仕事に従事した。

(2) 訴外会社は週休二日制を採っていたが、仙台ショールームは土曜日、日曜日も営業していたため、興二を含む仙台ショールーム勤務従業員のうち男子従業員二名は、交代で土曜日、日曜日にも出勤し、その代わりに、平日に代休が与えられることになっていた(乙四ないし九)。

(3) 興二の勤務時間は、始業時刻午前八時三〇分、終業時刻午後五時一五分、休憩時間が正午から四五分間と定められ、昭和五七年度開発研修(以下「開発研修」という。)が開始された同年六月五日から訴外会社の研修施設である彦根レイクハウスにおいて実施された合宿研修(以下「合宿研修」という。)に参加する直前までは、午前八時一五分ころ出勤し、午後六時ころまでには退社し、午後六時三〇分から遅くとも午後七時ころには帰宅していた。

(二) 開発研修業務

(1) 興二は、昭和五七年五月末(以下月日のみを表記した場合は、昭和五七年の月日を表す。)、訴外会社の実施する開発研修の対象者として所属最高責任者の推薦を受け、かかる開発研修の参加者として選出された。

(2) 開発研修実施要領によれば、開発研修の目的は、「組織内の責任者にふさわしい識見と思考・態度を開発すると共に研修の課程を通じて現状、適性を診断する。」点にあるとされ、教育訓練体系における位置付けは、「主任職としてのレベルアップを主眼とし、役職位への任用とは連動しない。したがって、以後の自己開発に資するための診断は提示するが、判定はしない。ただし、役職位への任用は本研修を終了していることが条件となる。」とされていた。

(3) 開発研修の期間は、昭和五七年六月五日から翌昭和五八年三月末日までとされ、興二は、昭和五七年六月五日に訴外会社東京支店において実施されたオリエンテーションに参加したのをかわきりに、合宿研修に参加するまでの間に、グループテーマ研究の準備、課題図書を資料とした課題レポートの提出などの開発研修業務に従事した。そして、開発研修の一環として、一〇月二〇日から同二二日までの二泊三日の予定で、滋賀県彦根市松原町にある彦根レイクハウスにおいて合宿研修が実施され、これに参加した興二は、三日目の一〇月二二日の早朝に行われたジョギングの途中の休憩中に倒れ、午前六時五三分、救急車で彦根市立病院に運ばれたが、同月二四日午後八時ころ、脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血により死亡した(甲一四、二〇、乙二四)。

2  本件給付請求及び本件不支給処分

原告は、興二の死亡当時、同人の妻であり、興二の収入によって生計を維持し、かつ、葬祭を行うものであった。

原告は、被告に対し、昭和五八年四月二〇日、労災保険法一六条、一七条に基づき本件給付請求をしたが、被告は、原告に対し、昭和五九年三月三一日付けで、業務に起因することの明らかな疾病とは認められないことを理由として本件不支給処分をした。

3  審査及び再審査請求

原告は、昭和五九年六月七日、宮城県労働者災害補償保険審査官に対し、本件不支給処分の取消を求める審査請求をしたが、同審査官は、昭和六〇年二月二八日付けで右審査請求を棄却する旨の決定をした。

原告は、昭和六〇年五月四日、労働保険審査会に対し、本件不支給処分の取消を求める再審査請求をしたが、同審査会は、昭和六三年三月二二日付けで右再審査請求を棄却する旨の裁決をし、裁決書は、同年四月一四日原告に送達された。

二  争点

本件の争点は、興二の死亡が業務に起因するものと認められるかという点にある(労災保険法一二条の八第二項、労働基準法七九条、八〇条)。

1  原告の主張

(一) 業務起因性の考え方

業務上の死亡とは、業務と死亡との間に相当因果関係があること意味し、また、これをもって足りるのであって、必ずしも業務遂行が唯一の原因となって死亡したものであることを要しないと考えるべきであり、特定の疾病に罹患し易い疾病素因や業務遂行に起因しない既存疾病(以下これらを合わせて「基礎疾患」という。)が条件ないし原因となって死亡した場合であっても、業務の遂行が基礎疾患を急激に増悪させて死亡の時期を早めるなど、それが基礎疾患と共働原因となって死亡の結果を招いたと認められる場合には、労働者がかかる結果を予知しながら敢えて業務に従事するなどの災害補償の趣旨に反する特段の事情がない限り、右死亡は、業務上の死亡であると認められるべきである。

(二) 興二の健康状態

興二には、生前、高血圧症、糖尿病等の疾病はなく、脳動脈瘤を除けば健康状態は良好であり、脳動脈瘤の存在を窺わせる徴候はなかった。

(三) 出勤日数、超過勤務

仙台ショールームは年中無休で、男子社員三名のうち二名は出勤することとなっていたため、週休二日制は建前だけで、興二は休暇を返上して出勤し、超過勤務も月に三〇時間を超えるのが常態であった。

(四) 日常業務と並行して行われた開発研修業務について

開発研修を終了することが役職位への任用の条件とされていたことから、開発研修への参加は、出世していくための必須条件であり、また、開発研修参加者として全国から選出された二〇四名は、いわばお互いにライバルであった。

興二は、開発研修が開始された六月五日以後、日常業務に従事した上、帰宅後、夕食をすませてから午前零時前後まで開発研修業務である課題レポートの作成に取り組んでいた。課題レポートは、三〇〇頁に及ぶ課題図書が提示され、理解度、独自性、論理性が審査されたため、レポートの提出期限、が迫ると深夜までこれに従事した。これらの業務により疲労が蓄積され、開発研修開始前の体重が四か月間で六キログラムぐらい減少した。

興二の死亡時期に近接する一〇月一日以降の同人の業務従事時間は、次のとおりである。

一日 日常業務一〇時間 研修業務3.5時間 合計13.5時間

二日 右同 合計13.5時間

三日 右同 合計13.5時間

四日 (代休) 一日中研修業務 合計一〇時間

五日 日常業務一〇時間 研修業務3.5時間 合計13.5時間

六日 右同 合計13.5時間

七日 右同 合計13.5時間

八日 右同 合計13.5時間

九日 社内リクリェーション(宿泊)合計一三時間

一〇日 社内リクリェーション6.5時間(午後三時半ころ帰宅) 研修業務六時間 合計12.5時間

一一日 (振替休日) 一日中研修業務 合計約一〇時間

一二日 日常業務一〇時間 研修業務四時間 合計一四時間

一三日 日常業務一〇時間 研修業務六時間(午前二時半まで) 合計一六時間

一四日 (代休) 一日中研修業務(午前二時まで) 合計一四時間

一五日 日常業務一〇時間 (第三回課題レポート提出) 合計一〇時間

一六日 ゴルフ

一七日 休日

一八日 日常業務一〇時間 合計一〇時間

一九日 午前中日常業務四時間 午後三時半ころから合宿研修のため名古屋までの移動に四時間 合計八時間

二〇日 名古屋を午前八時出発 一〇時半から翌二一日午前零時ころまで合宿研修 合計一六時間

二一日 午前六時から午後一〇時まで合宿研修 合計一六時間

二二日 午前五時半起床、午前六時ジョギング開始

右のとおり、興二の一〇月中の業務従事時間は、一日平均13.5時間であり、一〇月四日、一四日は代休であったものの課題レポートの作成に充てられ、レポート提出までは実質的な休日はなかった。したがって、レポート提出後の一六日にゴルフに出かけ、一七日が休日であったことを考慮しても、課題レポート作成によるストレスや疲労は解消されるに至っていなかった。

(五) 合宿研修について

興二は、右のとおり課題レポート作成によるストレスや疲労を残したままの状態で合宿研修に臨んだ。合宿研修は、日常の業務とは異質のものである上、全国から集められたいわばライバルと共に早朝から深夜まで気分転換の余地もない状態で行われたものであって、几帳面で真面目な性格の興二にとっては強度な精神的緊張を余儀なくされ、また、休息時間、睡眠時間が短いにもかかわらず早朝からランニング、草取り、体力測定が行われ、運動習慣のない興二にとってはかなり肉体的疲労をもたらした。興二が合宿研修二日目の朝食後に頭痛を訴え、また、その日の夜、同宿者に対し、「先に寝る」と言って早く就寝し、大きな鼾をかいて寝ていた事実に照らせば、興二が疲労のため不調であったことは明らかである。

(六) ジョギングについて

一〇月二二日の朝は冷え込み、午前六時の気温は10.6度であった。前々日及び前日の最高気温22.2度、21.5度と比べて一〇度以上の較差があり、また、彦根地方気象台の観測では当時毎秒1.5メートルの風速であったが、ジョギングコースが琵琶湖畔であったため、観測データーより強い風が吹いていたものと考えられ、体感温度はさらに低くなっていたと推測される。

ジョギングの走行距離は、往復で二キロメートルであり、興二は折返し地点までの片道を他の参加者と同様七、八分で走ったものと推測される。

ランニング中の突然死が多いことは従前から指摘されており、鑑定人上畑鉄之丞の鑑定結果及び同人の証言によれば、運動負荷をかける場合には、事前に医学的チェックをし、ジョギング中やその後も脈拍数、身体徴候などにより、身体的負荷が適正であるか否かの安全性を確認すべきであり、運動習慣のない者がいきなり一、二キロを走ることは身体的負荷が大きく危険であるとされている。また、男性の標準的なエアロビック(有酸素活動)運動は、一日に1.6キロメートルぐらいを一二分間で走行することとされ、これに徐々に近づけていくことが必要とされている。

訴外会社は、興二に対して、昭和五六年度の定期健康診断をしていないほか、昭和五七年には胃部の検査のみをしただけであり、合宿研修のジョギング実施に際しても、参加者に対して医学的なチェックをしていない。

したがって、興二にとって前記のような早朝のジョギングは、身体的負荷が過大であったと考えられ、また、訴外会社には安全配慮義務違反がある。

(七) まとめ

興二の脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血は、日常業務のほかに開発研修業務が付加されたことによって身体的、精神的疲労が蓄積され、その蓄積された疲労は合宿研修でさらに高まり、発症前日及び当日の早朝ジョギングという著しい身体的負荷を受けたことによって発症したものである。

したがって、興二の業務と右発症との間には相当因果関係があり、本件不支給処分は取消を免れない。

2  被告の主張

(一) 業務起因性の考え方

労働者に生じる疾病等は、一般には多数の原因又は条件が競合していることが多く、仮に業務の寄与率が極端に低い場合にも、使用者が労働基準法に基づく災害補償責任を負担し、その履行が罰則をもって強制されるとするならば、使用者に過大な負担を強いることになり、また、これを担保する労働者災害補償保険はその存続基盤自体を危うくしてしまうことになるから、明らかに不当である。

したがって、単に業務遂行を機会に疾病等が発症したに過ぎない場合には、労災補償の対象から除外されるべきであって、業務起因性(業務と疾病等との相当因果関係)が肯定されるのは、当該業務に内在する有害ないし危険因子に起因する疾病等であることが経験則上明らかな場合に限定されるべきである。

以上からすれば、労災補償上の相当因果関係の判断に際しては、当該業務が当該疾病を発症させ得る有害ないし危険因子を内包するものか否かを判断し、それが肯定された上で、かかる有害ないし危険因子を内包する業務と当該疾病との間の因果関係の相当性を判断しなければならないものである。また、当該疾病の発症に業務以外の有害因子(遺伝的因子、環境的因子、これによって形成される素因等)の存在が認められる場合において相当因果関係が肯定されるためには、業務上の有害因子が当該疾病の発症において相対的に有力な原因となっていなければならず、また、一般的、客観的に見ても、明らかな危険性、有害性を持っているものでなければならない。

特に、加齢や一般生活等における諸種の要因によって増悪、発症する脳動脈瘤等の脳血管疾患は、業務自体が血管病変の形成に直接寄与するわけではなく、また、血管病変の形成をもたらすような特定の業務の存在も認めにくいものである。したがって、脳動脈瘤等の脳血管疾患と業務上の有害因子(具体的には業務による過重な負荷)との間に相当因果関係が認められるためには、そのような血管病変が自然的経過を超えて急激に著しく増悪し、発症するに至ったと認められる場合でなければならず、また、業務上の有害因子は、血管病変を自然的経過を超えて急激に著しく増悪、発症させるだけの一般的、客観的な危険性、有害性を持っているものでなければならない。

(二) 日常業務と並行して行われた開発研修業務について

興二が日常業務に従事するために仙台ショールームに出勤した日数は次のとおりであり、休日は十分に取っていた。

七月一六日から八月一五日まで 一八日

八月一六日から九月一五日まで 二〇日

九月一六日から一〇月一五日まで二〇日

一〇月一六日から同月一九日まで二日

日常業務と並行して行われた開発研修業務のうち、興二が関与したものは、課題レポートとグループテーマ研究であるが、このうちグループテーマ研究については、興二の関与は極めて少なく、およそ興二にとって身体的、精神的なストレスとなるものではない。

また、課題レポートは、B五版罫紙五枚程度のもので、それほどの労力を必要とする性質のものではなく、かつ、主として自宅で作成されたことからすると、興二の身体や精神に著しい疲労をもたらすものではない。そして、レポート作成作業は、一〇月一五日にはすべて完了しており、翌一六日には、自らの提案で友人らとゴルフに出かけ、ゴルフプレー中も特段の異常がなく、最低一八ホールをプレーしていること、さらに翌々日の一七日は休日であり、興二は出勤していないことに照らすと、興二のくも膜下出血に対して、かかる課題レポート作成による疲労が影響したものではないことは明らかである。

(三) 合宿研修について

合宿研修は、二泊三日の短期間のものであり、参加者はすべて訴外会社の者で、年齢や訴外会社での立場も似通ったもの同士で行われたものであることに鑑みれば、興二が一定期間自宅や職場を離れ、余り顔なじみのない他の参加者と合宿研修に参加したことにより身体的、精神的負担が生じたとしても、その程度の負担は、日常生活や仕事上たびたびある負担に過ぎず、負担としては軽度のものといえる。

合宿研修のスケジュールの密度の点においても、一日目は午前一〇時三〇分から開始されていること、一日目及び二日目とも昼食時間は確保されていること、一日目において午後五時以降に行われた研修は、午後八時ころから午前零時過ぎころまでの同宿者とのグループ討論のみであり、その討論の席には会社の管理者ないし監督者は同席しておらず、しかも飲酒しながらのものであること、二日目は、午前五時四〇分ころに起床してジョギングが行われているものの、昼間の研修内容に特筆すべきものはなはく、夕食後の研修も午後七時ころから午後九時半までのグループ討論の発表会のみであったことなどからすれば、かかる合宿研修は、一般民間会社や官公庁において行われている研修と比べて、身体的にも精神的にも重いものとはいえず、さらに同一の合宿研修参加者の話でも、合宿研修は難しい肩の凝るような性質のものではなく、研修期間中の服装、お茶飲み、喫煙、用便も自由で、精神的にも肉体的にも著しく疲労するような厳しい研修ではなかったと述べていることからすると、少なくとも、このような合宿研修自体、自然的経過を超えて急激に脳動脈瘤を増悪させるような身体的、精神的負担をもたらす性格のものでない。

(四) ジョギングについて

合宿研修の二日目、三日目に行われた早朝のジョギングは、往復二キロメートルの距離を片道七、八分で走り、折返し地点で約一〇分間の休息をとるものであったこと、また、ジョギング前にはラジオ体操、柔軟体操を行っていることを考慮するならば、一般的、客観的にみて危険性や有害性のあるものとはいえず、身体的にそれほどの負担になるものとはいえない。

三日目のジョギング時の気温は10.6度であり、当時仙台に勤務していた興二にとっては寒冷といえるほどの気温ではなかった。また、同一内容の研修に参加したものによれば、ジョギングは、体調の悪いものは辞退することを申し出ることも可能な雰囲気の下で行われた。

脳動脈瘤自体は、加齢により徐々に発達し、その大きさが直径四ないし五ミリメートル以上になると、特段の環境変化がなくとも、日常生活おける軽度の血圧上昇によっても破裂するのであって、仮にジョギングによる血圧上昇が脳動脈瘤破裂の引き金になったとしても、ジョギング自体が右のとおり軽度のものである以上、ジョギングによる血圧上昇が自然的経過を超えて急激に脳動脈瘤を増悪させるものとはいえず、単に条件的因果関係が認められるものにすぎず、相当因果関係までは認められない。

なお、原告は、訴外会社がジョギングに際して医学的チェックを行っていないことや健康管理に落ち度があることを指摘し、訴外会社の安全配慮義務違反が業務起因性を認める根拠となるかのように主張しているが、仮に使用者である訴外会社に被用者である興二の健康管理義務違反があったとしても、それは、原告が訴外会社に対して、債務不履行(安全配慮義務違反)による損害賠償請求をする場合における要件事実にすぎず、労災事件における業務起因性の判断をする上では、意味を持たない。

(五) まとめ

以上のとおり、興二の脳動脈瘤の破裂は、もともと興二の有していた脳動脈瘤が加齢ととに大きくなり、たまたまジョギング途中の休息時に破裂したものであって、業務の負荷の過重とは無関係に発症したものにすぎず、業務に起因するものではないから、被告のした本件不支給処分は適法である。

三  証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

第三  争点に対する判断

一  興二の経歴、開発研修の内容等について、前記争いのない事実等及び括弧内掲記の各証拠を総合すれば、次の事実が認められる。

1  興二の経歴等(甲五、一六、三二、証人松本、同山崎、原告本人)

(一) 興二は、昭和四〇年三月、慶應義塾大学商学部を卒業し、同年四月に訴外会社に入社し、本社、仙台営業所、盛岡営業所において建材のセールスを担当し、昭和五四年七月二〇日、仙台ショールームの主任に転属して、相談係の業務に従事し、昭和五六年六月からは、仙台ショールームの責任者であった松本守夫課長の配置転換に伴って仙台ショールームの責任者(管理課長代理)として勤務していた。

(二) 興二は、昭和五一年度の開発研修に参加したが、建材セールス業務が忙しく、途中で断念したことがあった。

2  仙台ショールームでの勤務状況(甲六、七、九ないし一一の各二、一二、乙四ないし九、証人松本、同駒井、原告本人)

(一) 仙台ショールームは、訴外会社の照明器具、壁材や床材等の建材、住宅設備機器等の製品を展示し、興二を含む仙台ショールームの相談係員は、工務店、電気工事業者のほか一般客に展示品の説明をすることや、相談に応対することを業務とし、興二は、同人が仙台ショールームの責任者となってからは、右相談係の業務のほか、仙台ショールームの企画、運営、部下(男子二名、女子一名)の管理、指導も担当していた。外回りの仕事としては、年に一、二回設計事務所を回ることがある程度で、ほとんど内部勤務であった。

(二) 勤務時間は、始業時刻午前八時三〇分、終業時刻午後五時一五分、正午から四五分間が休憩時間とされ、興二は、日常午前八時一五分ころに出社し、棚卸しのため期末や月末に一、二時間の残業があったものの、その他は遅くとも午後六時ころには退社し、開発研修が開始してからは、午後六時半から七時ころには帰宅していた。

(三) 仙台ショールームは土曜日、日曜日も営業していたため、興二を含む男子従業員のうち二名がかかる曜日にも出勤していたが、その代わりに平日に代休が与えられ、代休日をショールーム従業員同士の間で交代することは、ごくまれにしかなかった。興二の勤務日数については、訴外会社と訴外会社の労働組合との間に協定が結ばれていたことから、年間二四九日を大きく超えることはなく、六月一六日以後の出勤日数も、正確には確定できないが、次の日数を上回ることはなかった。

六月一六日から七月一五日までの間二〇日

七月一六日から八月一五日までの間二一日

八月一六日から九月一五日までの間二〇日

九月一六日から一〇月一五日までの間 二〇日

一〇月一六日から同月一九日までの間 二日

3  電気に関する勉強、資格の取得等(甲五、一七、一八、証人松本、原告本人)

興二は、仙台ショールームに転属した当時の上司であった松本守夫課長の勧めもあって、相談業務に役立つ電気に関する勉強に取り組み、昭和五四年の秋ころから電気の基礎知識を学ぶためのアマチュア無線の勉強や社団法人照明学会の通信教育を受け、昭和五六年三月一八日にはアマチュア無線技士(電話級)の免許を取得し、同年五月二八日には右照明学会から照明コンサルタントの認定を受けたほか、同年四月からは東北電気技術学校に入学して、週三日、夜間の授業に出かけて継続的に勉強し、同年九月一四日には電気工事士の免許を取得し、同年一一月二五日には高圧電気工事技術者試験に合格した。さらに特別第三種試験に備え、昭和五七年二月二〇日から通信教育による電気書院通信電気学校特別科も受講していた。開発研修が開始されてからは、前記学校は休んだものの、財務講座及びコンピューター講座の通信教育は続けていた。

4  趣味嗜好、健康状態(甲七、三一、乙一〇、一六、一九、二〇、鑑定人上畑、証人駒井、同小谷、原告本人)

興二は、日常業務時間中に灰皿がいっぱいになるほど喫煙し、コーヒーも午前一〇時及び午後三時に飲んでいたほかに来客者との応接中にも飲んでいたが、酒はほとんど飲めず、付き合いで酒を飲むときもビールをコップで一、二杯飲む程度であった。興二の趣味としては、麻雀とゴルフがあり、麻雀は、仲間と年に一〇回から二〇回ぐらい行い開発研修業務が開始したのちには月に三回ほどの頻度で行っていた。ゴルフは、仙台ショールーム勤務になってから夏場に一ヶ月ないし二ヶ月に一度くらいの割合で行っていたが、昭和五七年になってからはほとんど行わず、日常的に運動する習慣はなかった。なお合宿研修参加間近の一〇月一六日には、興二自らの発案で、ゴルフ仲間と松島チサンカントリーゴルフ場に出かけ、最低、一八ホールを、回り、特に異常もなくプレーしていた。興二の合宿研修参加前の健康状態は、脳動脈瘤の存在を除けば、肥満、糖尿病、高血圧症などはなく、良好そうに見えた。血圧は、昭和五五年一月の定期健康診断時に一〇八―六六mmHg、同年一〇月の定期健康診断時に一一四―七四mmHgであり、合宿研修参加の直近である昭和五七年九月一五日の測定結果によれば、一一七―六〇mmHgであって、いずれも正常値の範囲内であった。

5  開発研修業務(甲五ないし七、一九、二〇ないし三〇、三四、乙三、一一の一及び二、一二、一四、一五、二四、証人岡本、同村山、同小谷、同山崎、原告本人)

(一) 興二は、五月末、会社の実施する開発研修の対象者として所属の最高責任者の推薦を受け、かかる開発研修の参加者として選出された。

(二) 開発研修の目的は、組織内の責任者にふさわしい識見と思考・態度を開発すると共に研修の課程を通じて現状、適性を診断する点にあるとされ、教育訓練体系における位置付けは、主任職としてのレベルアップを主眼とし、役職位への任用とは連動せず、以後の自己開発に資するための診断を提示するものとされていたが、役職位への任用は本研修を終了していることが条件とされていた。そして、グループテーマ研究においては、テーマ選定にあたって所属の人事部長と相談をし、所属最高責任者の承認を得て決定するものとされ、個人テーマ研究においては、研究結果を部門人事担当部長に提出するものとされ、課題レポートにおいては、理解度、独自性、論理性の審査があり、レポートは部門人事担当部長に提出するものとされていた。また、開発研修期間中、上司による指導(上長指導)があり、開発研修の終わりには開発研修の達成度を見る「確認テスト」「多面観察」「総合診断」「部内でのフォロー面接」等が予定されていた。以上のとおり、開発研修期間中は全般にわたり参加者に対し、上司の監督、指導が及んでいた。

開発研修を終了したほとんどの者は、時期に先後があるものの、役職者に任用され、興二のように開発研修に二度参加することになった者はまれであった。

(三) 開発研修の期間は、昭和五七年六月五日から昭和五八年三月末までとされ、合宿研修を除く興二の従事した開発研修業務の内容、遂行状況は、次のとおりである。

(1) 諸検査

六月五日、訴外会社東京支店において実施された欄発研修のオリエンテーションにおいて、一般教養試験、モチベーション検査(RMI型)等が行われ、興二はこれに参加した。

その後、右オリエンテーションの結果について、訴外会社東北営業部仙台営業所管理課長の山崎重信による六月二一日付けの報告があり、同人作成の報告書は営業部長を経由して興二に渡された。この報告書には試験結果が示されており(興二の点数は、社内平均点の72.6点より低い七一点であった。)、確認テストに備えて弱点を勉強し直すこと、モチベーション検査(RMI型)結果(興二は、達成意欲の点においては、目標達成に人一倍関心が強く、持続性の点においては、どちらかというと忍耐強く取り組む方であることなどが示されていた。)や「あなたの自己改善のために」との題目で行われた診断結果(興二は、対人的には順応的で、状況を客観的に理解したり、洞察する能力はあるが、自分の考え方や感情を周囲に気軽に表現したり、主張したりすることは苦手で、やや他人依存的な感じを与えるタイプであると分析され、課題として自分の考えに従って自信をもって行動し、周囲に働きかけをする姿勢が期待されるとされていた。)を謙虚に受け止めて、自己育成を図る方法を考えるよう求める旨が記載されていた。

(2) グループテーマ研究

グループテーマ研究は、経営的な視野の拡大、企画力の育成を目的とし所属部門における最重要テーマを研究テーマとし、グループ員が研究を分担し、年内に完了して各部門で発表会を行うことを内容としていた。

興二は、訴外会社東北営業部内の研修参加メンバー四名と共にグループを作り、七月三日、仙台市に集合し、グループテーマ研究のテーマを「公共事業における需要開発」と決めた。興二らは、同月九日午後四時ころから二時間、グループテーマ研究の進め方を協議し、八月になって研究資料収集の分担を決めた。興二は、日刊建設新聞を過去一年分新聞社から借用する役割を分担したが、その後九月四日、同月一一日、同月二五日、一〇月二日及び同月一六日の各土曜日に行われた一〇〇〇万円以上の公共事業の発注物件のリストアップ作業には、仙台ショールームが土曜日にも営業していたことなどから都合がつかず、九月四日の作業に短時間参加したのみであった。

(3) 課題レポート

課題レポートは、問題意識の向上、論理的思考と表現力の強化を目的とし、課題として与えられた図書を読み、著者の論点を自己の立場と職務との関連において捉え、自己の見解を記述したレポートを提出することを内容とし、理解度、独自性、論理性を評価基準として審査を受けるものであった。

課題図書は三回にわたって次の合計四冊が提示された。

第一回 課題図書 マイケル・モーリッツ、バレット・シーマン著前田俊一訳『クライスラーの没落』(B六版約三八〇頁)

出題・六月一五日 レポート提出期限・七月二〇日

第二回 課題図書 田岡信夫著『経営戦略の総点検』(B六版約二六〇頁)

出題・七月七日 レポート提出期限・八月一〇日

第三回 課題図書 ウエイン・W・ダイアー著、渡部昇一訳『自分の時代』(B六版約二七〇頁)、千葉康則著『行動科学とは何か』(B六版約二〇〇頁)

出題・八月一日 レポート提出期限・一〇月一〇日

興二は、第一回目の課題図書につき七月末に、第二回目の課題図書につき八月月末に、第三回目の課題につき一〇月一五日に、いずれも提出期限を過ぎてから、それぞれB五版罫紙五枚のレポートを提出した。

興二は、日常業務を終えたのち、自宅に帰ってから、かかる課題レポートの作成作業を行っていたが、レポート提出間近になると深夜遅くまでこれに従事することがあった。

合宿研修開始間近の一〇月一五日に提出された課題レポート(第三回)については、一〇月一二日から一四日にかけて深夜遅くまでレポートの作成にあたり、その後の合宿研修参加までの勤務概要等については、一〇月一五日は日常勤務であり、一六日はゴルフ仲間とのゴルフをし、一七日は終日休暇をとり、一八日は日常勤務、一九日は午前中日常勤務(午後三時半ころから合宿研修に向けて名古屋へ移動)であった。

(4) 個人テーマ研究

個人テーマ研究は、新たなビジョンの獲得、仕事の創造を目的とし、担当分野での最重要問題を研究し、昭和五八年一月末日までに研究結果を提出することを内容としていた。興二は、この研究に着手していなかった。

(四) 合宿研修

(1) 開発研修の一環として、滋賀県彦根市松原町にある訴外会社の研究施設である彦根レイクハウスにおいて二泊三日の合宿研修が組まれた。かかる合宿研修は責任者たる自覚と態度の滋養を目的とし、社団法人日本産業訓練協会編のMTP(管理訓練計画)シート(以下「MTPシート」という。)をテキストに管理の基本の習得を主たる内容とするものであった。開発研修参加者は一二組(一組一七名)に組分けされ、興二は一一組に属し、一〇月二〇日から同月二二日までの予定で合宿研修に参加した。

(2) 合宿研修の内容及び興二の業務の遂行状況は、次のとおりであった。

(ア) 一日目(一〇月二〇日)

天候は、晴一時雨のち曇り、最低気温15.7度、最高気温22.2度であった。

合宿研修参加者は午前一〇時三〇分に彦根レイクハウスに集合し、午前中は自己紹介、日程表の交付、諸注意、宿泊の部屋割り、講座や食事の当番の分担等が行われた。興二は、面識のない武藤吉信、松本真及び村山克己の三名と共に彦根レイクハウスの宿泊施設「松月」(以下「松月」という。)に宿泊することになり、興二を含む右同宿者らは、一日目及び二日目の夕食当番を担当することになった。就寝時刻については特別の指示はなかった。

昼食後、午後一時ころから午後五時まで訴外会社の本社人材開発部の課長が講師となってMTPシートをテキストに事例研究が行われた。事例研究は受講者が交代で司会を務め、他の受講者が順番に解決方法の意見を発表し、最後に講師がまとめる形式で行われ九〇分に一度、一〇分から一五分の休憩をはさんで続けられた。事例研究の終わりに夕食後に行われるグループ討論のテーマを話し合いで決め、「一〇年後の松下電工」について討論することになった。

その後、興二を含む同宿者らは夕食の当番をし、午後六時から七時の間に夕食をとった。その際、一人ないし二人に一本ぐらいの割合でビールも出されていた。興二を含む同宿者らは、午後七時ころに「松月」に戻り、午後八時ころから「一〇年後の松下電工」をテーマにグループ討論を行い、その際興二は、書記を担当した。午後九時ころからはウィスキーの水割りを飲みながら討論し、興二も酔うほどではなかったが飲酒した。グループ討論の結果は、二日目の夕食後に発表されることになっていたが、興二を含む同宿者らは、二日目も夕食当番であったために、夕食時間前の休み時間を使えないことを考慮し、当日中にまとめることとなり、午前零時過ぎまで討論をした。「松月」においては、興二を除く同宿者三名が多く会話をしていたのに対して、興二は、意見を出したものの、余り会話をせず、おとなしくしていた。興二を含む同宿者らは、風呂が故障していたため、皆入浴しないまま就寝した。

(イ) 二日目(一〇月二一日)

天候は、晴れ時々曇り、最低気温12.1度、最高気温21.5度であった。

興二は、午前五時四〇分ころ起床し、六時ころ合宿研修参加者全員と共にグランドに集合してラジオ体操、柔軟体操をし、往復二キロメートルのジョギングに出発した。ジョギングは、折り返し地点で約一〇分の休息をはさんで片道七、八分で走った。ジョギングを行う際に、体調の悪いものは休んでよいとの指示などは特になかった。

その後、興二ら合宿研修参加者はテニスコート周辺の草取りを約二〇分ほど行い、午前七時ころに朝食をとり、七時五〇分から朝会に出た。興二は、朝食後、同宿者らに頭痛を訴えていた。午前八時ころから訴外会社の基本精神の毛筆転写が行われたのち、午前一〇時ころから午後四時半ころまで、途中、昼食約一時間をはさんで、前日に引き続き、MTPシートをテキストに事例研究が行われ、続いて午後五時半ころまで体力測定(前屈、跳躍、握力、階段昇降、反復横跳び)が行われた。

その後、興二を含む同宿者らは、夕食の準備にあたり、夕食後は、午後七時ころから午後九時半ころまでグループ討論の発表会が行われた。グループ討論の発表会の終了後、後片づけがあり、右同宿者らは、午後一〇時過ぎに「松月」戻ってウィスキーを飲み始めたが、興二は、「先に寝る。」と言って就寝し、大きな鼾をかいて寝ていた。この日も風呂が故障していたため、右同宿者らは入浴できなかった。

(ウ) 三日目(一〇月二二日)

天候は、晴れ、午前六時の気温は10.6度であった。

興二は、午前五時半ころ起床し、午前六時ころに合宿研修参加者全員と共にグランドに集合し、ラジオ体操、柔軟体操をしたのち、往復二キロメートルのジョギングに出発した。前日、ジョギングの列が乱れたので、この日はペースが落とされた。興二は、ジョギングの折返し地点における休息時間中、船着場付近の砂浜に仰向けになって倒れ、午前六時五三分、救急車で彦根市立病院に運ばれたが、意識は戻ることなく、昏睡状態のまま一〇月二四日午後八時ころに死亡した。

6  脳動脈瘤破裂の発生機序(乙三三、鑑定人上畑、証人小菅、同鈴木、同上畑)

興二の死亡原因は、既存の脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血であるが、脳動脈瘤の破裂は、脳動脈の血管壁の弱い部分が加齢と共に肥大かつ脆弱化して脳動脈瘤を形成し、かかる部分が血圧上昇による血管内圧の亢進を支え切れなくなることによって破裂するものであり、脳動脈瘤が直径が四ないし五ミリメートル以上になるといつ破裂してもおかしくない状態にあるとされる。そして、かかる脳動脈瘤の破裂による出血が脳の表面を覆う脳軟膜とその軟膜を覆うくも膜との間に生じることによってくも膜下出血が発症し、その症状としては、頭痛、悪心、嘔吐、意識障害があり、初発症状の死亡率は三五ないし五〇パーセントとされる。脳動脈瘤の破裂は、通常発症直前の強い身体的若しくは精神的ストレス要因が誘因としてかかわり、発症以前における疲労蓄積などによって身体の抵抗力が弱まると発症し易くなるとされる。脳動脈瘤の破裂を引き起こす外的要因としては、寒冷暴露、強い身体的動作及び強い情動ストレス(驚愕、怒り、緊張、不安など)等が考えられ、くも膜下出血発症の危険要因に関する疫学的研究では、高血圧、肥満、喫煙、習慣などが関連するとされ、コーヒーの多飲とくも膜下出血との関連性は明らかでないとされている。

なお、脳動脈瘤は、これが存在していても自覚症状のないものであり、昭和五七年当時の医療技術では、検査によって発見することはほとんど困難であった。

二  業務起因性の認定方法

労災保険法による保険給付が労働基準法に規定された危険責任の法理に基づく使用者の災害補償責任を担保する制度であることに鑑みれば、遺族補償、葬祭料等の保険給付を受けるために必要な要件である業務起因性の認定にあたっては、業務と死亡の原因となった負傷又は疾病との間に条件的因果関係があることのみならず、かかる負傷又は疾病が業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化と認められる関係、すなわち相当因果関係があることが必要である。そして、業務と関連性のない基礎疾患が共働して右疾患を発症させたという事情がある場合において、業務と右疾病の発症との間の相当因果関係が肯定されるためには、業務が右疾病の発症に対して、他の原因に比べて相対的に有力な原因となったと認められることが必要であると解するのが相当である。

また、前記のとおりの発生機序を持つ脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血と業務との間の相当因果関係を判断する場合においては、基礎疾患である脳動脈瘤を増悪ないし破裂させる誘因、有害因子、危険因子として、日常生活の多様な出来事が含まれるという事情が存在することから、業務が他の原因に比べて相対的に有力な原因となったと認められるためには、発症に関する一切の事情を総合考慮して、右疾病の発症前及び発症時の業務内容が、当該労働者にとって身体的、精神的に過重な負担となり、右基礎疾患を自然的経過を超えて憎悪させ右疾病の発症を招来したと認められることが必要であり、かつ、これをもって足りると解するのが相当である。

三  脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血の発症の直接的誘因(条件的因果関係)

前記認定のとおり、興二には、合宿研修参加以前、肥満、糖尿病、高血圧症などはなく、直近の血圧も正常であって、特に身体的異状もなかったこと、合宿研修参加間近の一〇月一六日にはゴルフに出かけ、最低一八ホールをプレーしても特に異常がなかったこと、合宿研修第二日目のジョギング後、頭痛を訴えていたものの、その後はくも膜下出血の症状を示すものがなかったことなどの事実に、前記脳動脈瘤破裂の発生機序を考え併せれば、興二が倒れる直前に行われた合宿研修三日目の早朝のジョギング(往路)による血圧上昇により興二の既存の脳動脈瘤が破裂し、くも膜下出血を発症させたものと認められる。

したがって、興二の死亡と合宿研修という業務との間には条件的因果関係が認められる。

四  身体的、精神的負担の過重性(相当因果関係)

原告は、日常業務と並行して行われた開発研修業務、合宿研修業務、とりわけ合宿研修二日目及び三日目の早朝ジョギングが興二にとって身体的、精神的に過重な負担になったと主張するので、先の認定事実を踏まえて、これについて検討する。

1  日常業務と並行して行われた開発研修業務について

興二は、開発研修業務が開始される以前には、ショールームの相談係の業務に役立たせるため電気に関する勉強をして各種の資格を取得しており、日常業務を終えたのち、かかる勉強に継続的に取り組んでいた。開発研修開始後は、それまで通っていた東北電気技術学校も休み、主に開発研修業務に取り組んだが、右研修業務のうち個人テーマ研究には着手しておらず、また、グループテーマ研究には日刊建設新聞を新聞社から借り出すこと及び短時間のリストアップ作業にかかわっただけであった。右事実関係に徴すると、合宿研修前に付加された開発研修業務としては、課題レポートの作成業務が主なものであったと認められる。

そこで、日常業務と並行して行われた課題レポートの作成業務について検討する。課題レポートは、三回にわたって合計四冊の課題図書が提示されたが、一回あたりに与えられた読書ページ数は約二六〇ないし四七〇頁の分量があり、提出されたレポートも各回B五版罫紙五枚の分量があることからすると、レポート完成までにはかなりの時間を要したと認められる。また、興二は、レポート提出間際になると深夜までレポート作成に従事したことがあった上、提出されたレポートは、理解度、独自性、論理性の審査を受けるものであったことから、興二は、かなりの精力をつぎ込んで、真面目に取り組んだものと認められる。

しかしながら、他方、課題図書の内容は、一般教養の範囲を超えない程度のものであって、慶應義塾大学商学部を卒業した興二の能力からすれば、特に難解なものでなかったと認められる。また、前記認定のとおり、レポートの作成作業は、主に自宅で行われ、一回の課題につき一ヶ月ないし一ヶ月半以上の期間をかけて行われた上、かかる期間中も趣味の麻雀を月に三回ほどの頻度で行って気分転換を図っていた。さらに、そもそも興二の日常業務は、内部勤務であって、かつ、すでに習熟した内容であり、また、出勤日数も特段多いわけではなく、午後六時ころまでには退社して、遅くとも午後七時ころには帰宅できたことからすると、かかる日常業務自体は疲労を蓄積するほどのものではなかったと認められる。

以上を総合検討すれば、提出直前の深夜に及ぶレポート作成作業が、一時的には相当程度の身体的、精神的な負担となったと推認されるものの、従前日常業務に加えて熱心に電気に関する勉強を継続していた興二の生活状況や能力からすれば、興二にとって課題レポート作成業務自体が大きな負担になっていたとは認めがたい。

もっとも、第三回目の課題レポートについては、一〇月一二日から一四日まで深夜に及ぶレポート作成作業が行われていることから、これによる疲労が一〇月二〇日からの合宿研修にまで影響した可能性は否定できないけれども、レポートの作成は一〇月一四日に完了しているから、その後合宿研修までには五日間の間隔があるのみならず、その間、一五日、一八日、一九日には日常業務を行ったのみで(一九日は午前中日常業務をし、その後名古屋に移動している。)、一六日には趣味のゴルフに出かけて何らの異常もなくプレーし、一七日には終日休暇をとっていること、そして、興二の日常業務が、前記のとおり疲労を蓄積するようなものではなかったことなどを考慮すると、仮に一〇月一二日から一四日までの深夜に及ぶレポート作成作業による疲労が合宿研修にまで影響したものとしても、かかる疲労はかなりの程度緩和されていたと認められる。

2  合宿研修二日目までの合宿研修業務について

合宿研修二日目までの合宿研修業務が興二にとってどの程度の身体的な負担となったか検討する。

合宿研修の業務従事時間は、一日目が午前一〇時三〇分から翌日午前零時過ぎまで、二日目が午前五時三〇分の起床から興二が就寝した午後一〇時過ぎまでと、いずれも日常業務に比してかなり長時間であったこと、休憩時間としては、昼食時間と事例研究中の九〇分に一度一〇分から一五分の休憩があったものの、興二を含む同宿者らは、一日目、二日目の夕食の当番を担当した関係で、夕食前の休憩時間を十分に利用することができなかったこと、一日目と二日目の間の睡眠時間が五時間から五時間三〇分ぐらいとかなり短く、かかる睡眠では合宿研修一日目の疲労が回復できなかったのではないかと考えられること、二日目の朝食後、興二が頭痛を訴えていたことからすると、朝食前に行われた早朝ジョギングが運動習慣のない興二にとって身体的に大きな負担になった可能性が高いこと、以上の事情に加え、二日目のグループ討論発表会の終了後、同宿者らが「松月」に戻ってウイスキーを飲んでいたにもかかわらず、興二は、午後一〇時過ぎにひとり就寝してしまい、大きな鼾をかいて寝ていたことを併せ考えると、合宿研修二日目までの研修業務は興二にとって身体的に大きな負担をもたらしたものと認められる。

次に、興二の合宿研修における精神的負担の大きさについて検討する。

まず、興二のおかれた立場、状況、性格等の基礎的事情を検討すると、興二は昭和五一年度の開発研修を終了することができず、実質的に役職位への昇進が遅れていたこと、開発研修には所属最高責任者の推薦によって参加した経緯があり、また、開発研修は、所属の上司による指導、監督が及ぶものであったことなどの事情から、今回の開発研修には相当な意気込みをもって臨まざるを得ない立場ないし状況にあったと認められ、また、興二は、真面目で忍耐強く、努力家であった反面、自分の考えや感情を気軽に表現することの苦手な性格であったことが認められる。

そして、右基礎的事情を踏まえて合宿研修のもたらした興二の精神的負担の大きさを検討すると、合宿研修の内容自体が日常業務とはまったく異質のものであり、特に合宿研修の主たる内容をなす事例研究は、訴外会社の本社の人材開発部の課長が講師を務め、研修参加者が順番に司会をしたり意見を述べさせられるものであったため、興二に取って精神的な緊張を余儀なくされるものであったと認められること、興二は、同宿者らと面識がなく、終始これらの者とうち解けた様子もなかったことから、合宿研修中、十分にリラックスすることはなかったと推認され、また、興二は、ほとんど酒が飲めないため、夕食の際にビールが出されたり、「松月」でのグループ討論の際にウイスキーを飲んだとしても、これによって緊張がほぐれたとまでは認められず、これらの諸事情からすれば、合宿研修中に受けた興二の精神的負担は、興二の日常業務と比較して、かなり大きな負担であったと認められる。

以上のとおり、合宿研修のもたらした興二の身体的、精神的負担はかなり大きく、たとえ合宿研修期間中の服装が自由であり、受講中コーヒーを飲んだり喫煙することが自由にできたとしても、合宿研修二日目までの研修業務は、興二にとって相当強い身体的、精神的な疲労をもたらしたと認められる。

3  合宿研修三日目の早朝ジョギングについて

鑑定人上畑鉄之丞の鑑定結果及び同人証言によれば、ジョギングなどの運動負荷をかける場合には、事前に医学的なチェックを行うとともに、ジョギング中やその後においての脈拍数や身体徴候などによって、身体的負荷が適切である否か安全性を確認する必要があること、また、成人男性のエアロビック(有酸素活動)運動としては、一日に1.6キロメートルを一二分間で走行するのが標準的であるとされ、運動習慣のない者がいきなり一、二キロメートルを走ることは、身体的負荷が大きいため危険であり、徐々に右標準に近づけるべきものであることが認められる。

また、ジョギングは、それを行う際の体調いかんによっては、強い身体的負担になることがあることは、経験上明らかである。

そこで、合宿研修三日目のジョギングについて検討すると、ジョギングの走行距離は往復二キロメートルであり、折返し地点で一〇分程度の休憩をとって、片道を七、八分で走るものであったものの、興二の従事していた日常業務にはこれに匹敵するような有酸素活動を伴うものがなく、また、興二には運動習慣もなかったことから、かかる態様のジョギングを行うことは、身体的負担が大きく、危険なものであったと認められる上、興二は、前記認定のとおり、前日までの合宿研修により相当強い身体的、精神的負担を受けていたと認められ、このような態様のジョギングを行うには極めて不適切な身体状況にあったと認められること、また、ジョギングが行われた当時の気温は、10.6度と合宿研修期間中で最も下がり、前日の最高気温と比較して約一一度の気温較差があって相対的に寒く感じられ、これによる血圧上昇も考えられること、さらに、脳動脈瘤は、自覚症状がなく、当時の医療技術では、発見が困難な疾患であったことから、興二のみならず、社会一般に存在するかかる疾患保有者において、その破裂を警戒、予防することができず、興二と同様の業務に従事することも社会通念に照らして通常あり得ると考えられることなどの諸事情が認められる。これらの諸事情に加え、「被災者の脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血は、発症の直接誘因として、直前の寒冷下でのジョギングが関連し、前日の前兆もジョギングによる身体的負荷がかかわった可能性があると考える。」との鑑定人上畑鉄之丞の鑑定結果を総合考慮すれば、合宿研修二日目までの合宿研修業務による疲労が、合宿研修三日目の早朝のジョギングによる身体的負担を著しく高め、かかるジョギングが興二にとって過重な身体的負担となり、興二の脳動脈瘤を自然的経過を超えて急激に増悪させ、脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血を発症させたものと認めるのが相当である。

4  以上のとおりであるから、興二の死亡と業務の間には相当因果関係があると認め、業務起因性を肯定するのが相当である。

ところで、東北労災病院の鈴木敏己医師は、興二の死亡の業務起因性について、興二の脳動脈瘤の破裂の原因として急激な血圧上昇が考えられるとしながら、興二の性格や興二のおかれた個別的な事情を考慮しないで、単に他の合宿研修参加者から聴取した事情のみに基づいて、合宿研修は強度の疲労又は興奮をもたらすものではないと分析し、ジョギングは、それ自体の実施態様から無謀なものではなかったと考察し、結論として、脳動脈瘤を破裂させるだけの身体的、精神的疲労の蓄積や急激な血圧上昇を来すような肉体的運動、精神的興奮はなかったと認定して業務起因性を否定する意見を述べている(乙二三の一及び二、証人鈴木)。

しかし、精神的な負担は、個人の感受性や性格、おかれた立場や状況等によって大きく違い、またジョギングの身体的な負担についても、個人の体力、運動習慣、具体的身体状況等によって大きく違うものであることを考えると、乙第二三号証の一、二及び証人鈴木敏己の証言をもって、前記認定、判断を覆すには十分でなく、他に右認定、判断を覆すに足りる証拠はない。

第四  結論

以上の次第で、興二の死亡には業務起因性が認められるから、これと異なる判断の上にたってした本件不支給処分は、違法であって取消を免れない。

よって、原告の請求は理由があるから認容し、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官飯田敏彦 裁判官深見敏正 裁判官後藤充隆)

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